「中毒者」の視点

 以前、私は「一年に百冊以上も漫画を読む人の感性は、普通の人とは乖離してしまっている」という話を書きましたが、なぜそう思うのか? という点に関して説明不足だったと思うので、今回は具体的にその点を掘り下げてみようかと。
 「普通の人よりも多く漫画を読む人」を、ここでは仮に「漫画中毒者」と呼びますが、「漫画中毒者」はより多くの作品に触れているが故に、大抵の作品において「新鮮さ」を感じる感覚が麻痺しています。普通の人が「こんな作品、読んだことねぇ!」と感動するような話でも、「これって、○○に似てるよな」という、誰も知らないようなマイナー作品がすぐに頭に思い浮かんでしまって、それはそれでニヤリとさせられる楽しみを得られるものの、「新たな何かに出会った感動」には至れないのです。
 ただ、そんな中毒者でも、極稀に「今まで何千冊も漫画を読んできたけど、こんな作品にはまだ出会ったことがない!」と感動を覚えるような斬新な作品と出会えることがあります。その感動は、おそらく普通の人が感じる同種の感動よりも遥かに深いのです。しかし、漫画中毒者が何十年かけても出会うことが無いほどに斬新な作品というのは、その大半が「斬新すぎて、普通の人には受け入れられない内容」なのです。
 だからこそ、私は言いたいのです。「『通』の意見は信用するな」と。特に、私のように一点特化型で通ぶってるレビュアーは最悪です。我々のようなレビュアーが「面白い!」と絶賛する作品は、極めて特殊な趣向の人達にだけ受け入れられる作品である可能性が高く、あまり信用することは出来ません。
 なので、専門家気質のレビューを読む時は、そのレビュアーが「『面白い』と言っているか否か?」や「何点つけているか?」ではなく、あくまでも「その作品の特性を説明した部分」にのみ着目して、それが自分の趣向と合うか合わないか、という点だけを注視すべきだと思います。いくらそのレビュアーが「普通の人の視点」に立とうとしたところで、「普通の人が新鮮さを感じる感性」を脳内で再現することは、絶対に出来ないのですから。