「嫌いな作品」をレビューする理由

 さて、先週のこのコーナーは、「レビュー自体を一つの作品とする手法」に関して、それを用いることの意義は「好きな作品だけをレビューする人」か「好き嫌い問わずレビューする人」かによって変わる、という話で終っていた訳ですが、今回はそこから微妙に話を脱線させて、そもそも「嫌いな作品をレビューすること」自体の意義について考えてみたいと思います。
 好きな作品ならともかく、なぜ、頼まれてもいないのに「嫌いな作品」をわざわざ紹介する意味があるのか? その辺の動機は人それぞれだと思うのですが、とりあえず、思いつく限り、列挙してみました。なお、個人レビューサイトを前提として考えているので、「仕事として頼まれたから」とか、「他の人との合同企画の一環として」といったパターンは除外しています。


理由1、「被害者」を減らしたい義侠心
 その作品が「看板に偽りアリ」だと思う場合、あるいは「前作は面白かったので、今回もきっと面白いんだろう」という期待を抱かせる場合など、とにかく「購買意欲をそそる作品」であるにも関わらず、内容が期待外れだったと思った時に、「あれを買うのはやめた方がいい」ということを強く主張したくなることがあります。
 無論、それはあくまで自分だけの解釈にすぎず、実際にはそれが多くの人々に受け入れられる可能性もある訳ですが、少なくともレビューしている本人の中では、一種の義侠心に基づく行動と言えるでしょう。当然、出版社や作者にとっては迷惑千万ですが、金を払って買った内容に満足出来なかった時に、このようなネガティブキャンペーンを実行する権利は、購買者にはあると私は思います。


理由2、「世間の高評価」への対抗心
 世間では高く評価されている作品なのに、自分にはどこが面白いのか分からない、と思えてしまった場合、その世間の評価に対して異を唱えたくなる、というのも、人として自然な心理だと思います。
 それは「他とは違う自分独自の視点」の個性を主張したいという場合もあれば、逆に「自分以外にも、そう思っている人もいるよね?」という形で賛同を得たいこともあるでしょうし、純粋に「意見が違う人との議論を楽しみたい」という人もいるでしょう。いずれにせよ、「自分の感性がマイノリティなのかも」と思った時に、そのことを世間に問いかけてみたくなる人は多いのではないかと。


3、「読者への悪影響の可能性」の指摘
 作品内における何らかの描写(あるいは作品全体のテーマなど)が、それを読んでいる読者に悪影響を与えると考えた場合、それを告発するために批判的レビューを描く、というパターンもあると思います。
 たとえば、一部の人々に対する差別的な表現が平然と描かれている作品、あるいは現実に存在する何かに対する偏見や誤解を生みかねない表現などに遭遇した場合、それを放置しておくことが社会全体に悪影響を与える、という危惧を抱くケースなどがこれに該当します。つまりは、「1」とはまた違った形の「一種の義侠心に基づく行動」と言えますね。無論、これも「ただのレビュアーの思い込み」である可能性はある訳ですが。


4、好きな作者・雑誌などへの「愛のムチ」
 「この作者には、もっと面白い作品を描ける能力がある筈」と思うが故に、「なぜ現時点での作品が(そのレビュアーにとって)つまらないのか」ということを説明したくなる人もいます。あるいは「こんな漫画を載せていたら、この雑誌がダメになってしまう」と思うが故に、その特定の漫画を叩く、という人もいます。
 いずれも、作者や雑誌への「愛のムチ」としての行動であると同時に、他の読者に対して「頼むから、この人(雑誌)を見捨てないでくれ。今はダメダメだけど、本当はやれば出来る子なんだから」と訴えたい、という気持ちもあるからこそ、本人や出版社への手紙という形ではなく、レビューという形で公表しているのだと思います。無論、作者の方々には「大きなお世話」と思われてしまうことも多いでしょうが。


5、バカにして笑いをとるための題材
 「あまりにもヒドすぎて、その作品の存在自体が笑いのタネになる」と思った時に、あえてそれを大々的に取り上げたくなる人もいます。そして、実はこういうタイプの人ほど、レビュー自体を「一つの作品」として仕上げようとする傾向が強いように思えます。つまり、この人達にとって「レビュー」とは「作品を紹介するための手段」ではなく、むしろ「レビューで笑いをとるための題材」として「作品」を取り上げていると言えます。
 それ故に、内容的には「ただの誹謗中傷」として訴えられても文句が言えないような内容のレビューもありますが、しかし結果的に、「そこまでヒドいのなら、読んでみよう」といった形でネタ目的で漫画が売れることもあります。また、レビュアー側も、最初はネタとして叩いていたのに、いつの間にかそれが好きになってしまう、という「歪んだ愛」の形もあるようです。


6、「本命」を紹介するための比較対象
 その作品を取り上げること自体が目的ではなく、他のもっと好きな作品を持ち上げるための比較対象として紹介する、という事例もよくあると思います。(3にも通じるパターンとしての)同じ作者や同じ雑誌、あるいは同じ題材・ジャンルの複数の作品を取り上げる比較レビューというのは、よくある表現形式ですよね。
 この場合、純粋な「引き立て役」として貶めるパターンと、「それぞれに面白いと思える箇所が違う」という形で、それなりに両者をフォローしながら紹介するパターンがありますが、いずれにせよ、よくある戦略として「本当に紹介したい作品」よりも、「更に有名な(でも自分にとっては嫌いな)作品」をまず取り上げて読者の関心をひいた上で、「それよりも、もっと面白い作品がある」といって本命の紹介に入るのは、よくある布教戦略と言えるでしょう。


7、全作品レビューのための通過点
 世の中に存在する全ての作品を紹介したい、という壮大な野望故に、好き嫌い問わず全作品をレビューする、という人もいます。いわば「そこに漫画があるからレビューする」というパターンですね。
 ただ、漫画レビューという世界において、現実に個人レベルでこれが出来ているのは一巻読破さんくらいで(この人にしても、1巻のみという限定形式だから可能な訳で)、実際には(この「テニス漫画レビュー」のように)何らかのジャンル・雑誌・作者などに限定したレビューサイトの管理人に多く見られる傾向だと思います。
 では、なぜそこまでして「全作品コンプリート」にこだわるのか、という点については、多分、人それぞれに動機があまりにも違いすぎるので、類型化は無理なんじゃないかな……。少なくとも、私と同じ動機の人は、他にいないと思いますしね。。


 ということで、とりあえず、思いつく限りのパターンを挙げてみましたが(実際には、これらの複合的な動機で紹介している人もいるでしょうが)、「ウチはどれでもない、全く別の理由で『嫌いな作品』も取り上げてる」という人がいれば、ぜひ教えて下さい。よろしくお願いします。