【雑談】「レビュー」に「独自性」は必要なのか?

 とりあえず、アニメ版の『そふてにっ』も、今年のウィンブルドンも終わったので、そろそろまた久しぶりにレビュー論っぽい話を書いてみようかと。
 そもそも、「レビュー(書評)」とは何か? という問題については、諸説あるでしょうが、基本的には(前にも書いた通り)「未読者向けの紹介文」だと思うのですよ。それに対して「感想」や「考察」は「既読者」を対象とした上での、より深く内容に踏み込んだ文章だと思う訳です。
 ただ、実際には「レビュー(書評)」と呼ばれる文章の中にも、ある程度、内容に踏み込んだ記事も組み込まれます。ただ、その場合においても、(少なくとも「レビュー」を名乗る以上は)あくまで「未読者を主対象とした文」である以上、過度なネタバレになるような内容は避ける必要があるんですよね。
 まぁ、この辺の話は前に書いたコトの繰り返しになるのでこの辺でやめておくとして、今日の本題は「『レビュー』に独自性は必要なのか?」ということです。
 私は本業が研究者である以上、自分の論文には常に「独自性」が必要だと考えている訳ですが、「レビュー」を書く際にもそのポリシーは必要なのだろうか、と考えると、ちょっと疑問が出てきたのですよ。
 せっかく自分の名前で文章を書く以上、他の人にはない、自分にしか書けない文章を書きたいと思うのは、ある程度の自己顕示欲のある人間なら、当然の心理だと思うのです。そして、自己顕示欲の塊である私は、いつもそのために色々と頭を捻っている訳です。
 しかし、「自分だけの視点に基づくレビュー」にこだわることは、ただの自己満足なのではないか、作品自体を紹介することよりも、自分のレビュー能力をひけらかすことを重視するのは、「未読者のための紹介文」としてのレビューにとっては、本末転倒なのではないか、という気もするのです。
 まぁ、たかが素人のレビューブログである以上、「ただの自己満足で何が悪い?」と開き直るのも一つの筋の通し方だとは思うんですけどね。
 でも、多くの人々にとって「作品購入の際の参考」になるのは、むしろ「誰でも書けそうなレビュー」の方なんじゃないか、と思うのです。誰でも書けるということは、それだけ、より多くの人々の共感を得られるという意味でもある訳ですからね。「自分にしか見つけられなかった独自の視点」にこだわるよりも、そっちの方がレビュアーとしては真摯な姿勢なのではないかと。
 更に言ってしまえば、結局、「多くの人々が一読しても理解出来なかった視点」は、その作品にとって必要のない視点なのではないか、とも思うのです。 仮にそれが作者の意図としては「分かって欲しかった伏線」だとしても、それを読者の一人が他の読者に対して解説することが、果たして本当に良いことなのか? 「解説が必要な漫画」は、その時点で「漫画」としては失格で、その部分を解析出来た自分に酔いながら「通」ぶって解説しつつその作品を称揚するのは、漫画文化にとってむしろ害悪なのではないか、とすら思えることもあります。
 ……と、まぁ、久しぶりに自分の中でレビュー論を暴走させてみた訳ですが、ここまで書いた上で、「でも、誰でも書けるレビューを書いてて、楽しいのか?」という意見は当然自分の中でも出てくる訳で。別に、素人が個人ブログで「レビュー」を書く時に、漫画界の未来のことまで考える必要もないんじゃねーの? とも思います。
 ちなみに、これが「感想」や「考察」であれば、最初からこんなことを考える必要はないと思います。むしろ、これらは「既読者」を主対象とした文章である以上、読む側にとっては「自分と全く同じ感想」では意味がない訳で。その人独自の視点・切り口から、物語に深く踏み込んでいく文章でなければ、読む側にとっても意味がないでしょう。
 でも、「レビュー」は本来の目的が「未読者への紹介」である以上、「独自視点にこだわる姿勢」は、レビュアーとして不適切なんじゃないかな、と思うのですよね。特にウチの場合、最初からコンセプト自体が独特すぎるというか、「独自性」以上でも以下でもない、それしか存在価値のない限定ルールに基づいて書いているので、せめて文章くらいは、なるべく普遍的な視点で、極力私情を排除して書くべきなんじゃないかな、と思う訳です。まぁ、それでも、どうしても私の自己顕示欲が抑えられなくなって、色々と「独自性」にこだわった文章を挿入してしまうんですけどね。
 とりあえず、このテーマについては、まだもう少し語りたいコトもあるので、反響があればまた続きを書いてみようと思います。