「レビュー」は「作品」であるべきか?
ということで、若干ではありますが、先週の話をブックマークしてくれた人もいるので、その続きでもう少し書いてみようかと。
先週の話は「『レビュー』とはあくまで何らかの『作品』を紹介するための手段であって、『レビューを通じて自分の表現力&読解力をひけらかす行為』は本末転倒である」という前提の上での話でした。だからこそ、レビュアーのオリジナリティなんて、本当は必要ないのではないか、「誰にでも書けるレビュー」こそが、より多くの人々にとっては「必要なレビュー」なのではないか、という素朴な疑問を書き連ねてみた訳です。
しかし、一方で、本当にそうなのかな? とも思う私もいます。つまり、レビューはレビューで、それ自体が「一つの作品」となりうることもあるのではないか、とも思うんですね。実際、ネット上の「人気レビュアー」と呼ばれる人達の中には、レビュアー自身の個性が際立っていて、作品そのものが持つ面白さ以上の「何か」を引き出してくれるレビューも存在する訳です。ある意味、それは「何らかの作品を紹介するためのレビュー」という体裁を取りながらも、そのレビュー自体が既に一つの「作品」としての価値を持つレベルの文章となっている、とも言えます。
で、本末転倒かもしれないけど、それはそれでいいのではないか? とも思うのですよ。むしろ、「未読の人」に興味を抱かせて、購買欲をそそらせることが出来る文章なら、そちらの方が(たとえそれが作品の本質を掴んだレビューではなくても)「あらすじと要点をまとめただけの、誰にでも書けるようなレビュー」よりも、より多くの人々をその作品の購入へと向かわせるのかもしれません。
もっとも、この手法も度が過ぎると、やがて「この人のレビューは面白いけど、この人の紹介する作品自体は自分に合うかどうかは分からない」という印象を読者に与えてしまう可能性があるので、必ずしも有効に機能するとは限らないんですけどね。
また、そもそもこのような「レビュアー自身の手で、本来の作品の持つ魅力以上の魅力を伝えようとする手法」を使うべきか否かは、レビュアー自身の中での「レビューの目的」が「自分の好きな作品を紹介し、買ってもらうこと」であるのか、あるいは「自分の好みではない作品も含めてまとめて評価した上で、買うか買わないかの判断材料を読者に提供すること」であるのか、という問題とも絡むと思うのですが、それはそれでまた別次元の話となってしまうので来週に回すことにして、ひとまず今日のところはこの辺で終らせておきます。