玉越博幸『Doする!? パラダイス』

Doする!?パラダイス(1) (講談社コミックスボンボン)

Doする!?パラダイス(1) (講談社コミックスボンボン)

連載:『コミックボンボン』(2005〜2006年)
単行本:講談社コミックスボンボン(2006年) 全3巻


 『BOYS BE...』の作画担当で有名な玉越博幸が、『コミックボンボン』の末期の頃に描いた恋愛漫画。現在の作者は『コミックライバル』で(AKB48秋元才加宮澤佐江をモデルとした)『ダブルヒロイン』を連載中。
 内容は『BOYS BE...』と同様のオムニバス形式の恋愛漫画だが、最大の違いは、物語の途中で主人公が何度か「選択」を迫られた時に「Aを選んだ場合」「Bを選んだ場合」「Cを選んだ場合」で、それぞれに異なる展開が、2〜3頁にわたって上下に分割される形で描かれる(その後の物語に繋がる正解ルートは一つだけ)ということ。つまり、恋愛アドベンチャーゲームを楽しんでいるかのような感覚で読み進めることを前提とした作風となっている。
 この発想自体は面白いと思うのだが、肝心の物語の分岐を見ていると、主人公の「選択」とは関係ないレベルで、設定やキャラの性格が変わってしまっている(ことで物語が分岐している)ことが多く、正直、「それって、この漫画のコンセプト的にDoなの?」と言いたくもなる。特にバッドエンドルートは、かなり無理のある展開で強制終了になることも多い。
 ただ、そんな中で、第1巻収録の「赤い糸が2本?」では、主人公のサッカー部員・池田雅行が、清純なテニス部員・星真理子と、男勝りな応援団員・藤山いつ子の二人との間で揺れ動く物語が描かれているのだが、この話だけはサブタイトル通り、それぞれのヒロインとのエンディングが用意されている(ただし、それ以前の段階でバッドエンドになるルートもある)。
 『BOYS BE...』ではテニス少女達が、「活発少女」枠で描かれることが多かったのに対し、この半紙ではいつ子の方が実質的にボーイッシュ枠であるため、真理子はテニスの持つ「上品」というイメージを体現したキャラとして描かれている。ただ、実質的にはいつ子の方がメインヒロイン的な扱いに見えるので、やっぱりこの人の真骨頂は「活発系」なのかもしれない。

そろそろまた、あらかじめ言い訳しておきましょう

 すみません、今週は土曜日に賭けず、日曜更新となってしまいました。そして、来週以降、ちょっとまた書けなくなるかもしれません。ネタ自体はまだ少しはストックがあるのですが、今年からまた新しく始める講義もあるので、レジュメ作りの関係上、更新が保証出来ない状態です。
 とりあえず、可能な限りは書こうと思いますが、無理だった場合は、ごめんなさい。

桜野みねね『まもって守護月天!』

まもって守護月天! (1) (Blade comics)

まもって守護月天! (1) (Blade comics)

連載:『週刊少年ガンガン』(1996〜2000年)
単行本:エニックス・ガンガンコミックス(1997〜2000年) 全11巻
    マッグガーデン・Blade Comics(2003年) 全10巻


 90年代後期の『少年ガンガン』を支えた人気作の一つであり、作者の桜野みねねにとっての出世作にして代表作。1998年にはTVアニメ化、2000年にはOVA化を果たした。その後、連載は未完のまま休載状態となるが、2001年のエニックス分裂騒動を経て『コミックBLADE』にて続編『まもって守護月天!〜再逢〜』が描かれ、更に近年では電子書籍版で番外編が発表された。
 主人公は、中学二年生の七梨(しちり)太助。海外を旅する家族と離れて日本で一人暮らしをしていた彼の元に、父が中国で手に入れた謎の宝具「支天輪」が届く場面から物語は始まる。彼がその支天輪の中を覗くと、そこから「守護月天小璘(しゅごげってんシャオリン/通称:シャオ)」と名乗る精霊の少女が現れ、彼をあらゆる不幸から守ろうと奮闘することになる。
 初期の頃は上記の二人を軸としつつ、シャオのライバルである慶幸日天汝昴(けいこうにってんルーアン)や、シャオに恋する若き神主・宮内出雲、太助の後輩の愛原花織などを絡めたドタバタ・ラブコメが中心であり、その一環として、第1巻収録の第6話では、太助と出雲が、シャオとのデート権を巡ってテニスで争うエピソード描かれる(ただし、描写の密度は薄い)。
 一方、物語が後半に入ると、シャオの背負う守護月天としての宿命に起因するシリアスな恋物語が中心となるのだが、個人的にはこの後期の話の方が面白いと思う。特にモノローグの使い方を含めた感情描写は実に見事で、太助とシャオの双方の視点から、読者を巧みに物語に引きずり込んでいく。
 ただ、残念ながら、そのシャオの宿命を克服法は(続編も含めて)明確に描かれないまま中途半端な幕引きとなってしまっており、いずれ何らかの形で完結編が描かれることが望まれる。ちなみに、私のお気に入りは太助の幼馴染みの山野辺翔子。賑やかし役のトラブルメーカーでありながらも、太助とシャオの恋を進展させようと彼等を後押しする姿が印象的だった。

芸能人と同姓同名のキャラ

 上述の通り、今回紹介した『龍一くんライブ』の主人公は、日本を代表する某有名作曲家と完全に同姓同名です。時期的に言えば、YMO人気の最盛期なので(しかも、二人の兄の名が「幸宏」と「晴臣」)、偶然の一致ではないことは確かです。
 しかし、本作品における龍一くんは、別に作曲も演奏もしません。坂本教授を連想させるような要素は何一つ持っていないです。それ故に、なぜこのようなネーミングにしたのか、正直言って、意図がよく分かりません(多分、純粋に作者の趣味でしょう)。
 同様に、芸能人の名前“だけ”をそのまま拝借した例としては、『キャプテン翼』における「小田和正」くん(ふらの小→ふらの中)などが挙げられますが、このように「何のひねりもなく、全くそのまま同姓同名のキャラ」はむしろ珍しく、同じチームの「松山光」くんのように、ちょっとモジったネーミングにすることが多いと思います。あるいは、「名字」と「名前」をそれぞれ別の芸能人同士で組み合わせるパターンも、よくあると言えるでしょう。
 では、なぜ「芸能人そのままの名前」ではなく、「少し変えた名前」が多いのかというと、やはり、前者の場合はどうしても芸能人そのもののイメージに引きずられてしまうからではないかと思います。故に、松山くん級のセミレギュラーキャラの場合は、ちょっと変えた方が良いと思ったのでしょう。これに対して、小田くん程度のサブキャラの場合は、「捻るのも面倒くさいから、そのままでいいや」と判断されたのかもしれません(全くの憶測ですが)。
 一方、海外の芸能人の名前に関しては、『BASTARD!!』の面々のように、ほぼそのまま借用するパターンもよくあります。この理由としては、国内の芸能人に比べて読者層の間での知名度が低い(場合が多い)ことと、日本の漫画に登場させたところで、本人達の目に留まる可能性が低いだろう、という認識が根底にあるのではないか、とも思います(同様のことは、既に他界した歴史上の人物の名前を用いる場合にも言えると思います)。
 そう考えると、この『龍一くんライブ』のように、主人公に、国内の存命の有名芸能人の名前を(別にその人物をモデルにしているという訳でもないのに)つけるというのは、かなり異例だと思うのですが、他にも似たような事例の作品(主人公)って、いるんでしょうか?(スポーツ選手まで含めれば、『BECK』みたいな例もあるんですけどね) もし、何か心当たりのある方がいれば、教えて下さい。

神戸さくみ『龍一くんライブ』

連載:『週刊少年キング』(1980〜1982年)
単行本:少年画報社ヒットコミックス(1981〜1982年)


 『週刊少年キング』の末期を支えた人気作品の一つ。作者の神戸さくみにとっては事実上の最大のヒット作であり、本作品の完結(形式的には「第一部・完」)以降は小学館の青年誌・女性誌へと活躍の場を広げていく。
 主人公は、お調子者で女好きの高校生・坂本龍一。友人の猿渡寿史と共にスケ番達にカツアゲされていたところを、偶然通りかかった不良少女・宇都宮すばるに助けられる場面から物語は始まる。その後、すばるの親友の尾花沢笑(おばなざわ・えみ)と共に喫茶店に立ち寄った彼等は意気投合し、やがてこの四人を中心とした様々な恋愛模様が展開されることになる。
 作者は、当時の少年誌では珍しい女流作家であり、少年少女の双方の視点から、思春期の不器用な恋愛感情の共鳴とすれ違いの連鎖を丁寧に描いている。シリアスな場面では淡い画風で少女漫画的なモノローグなどを多用しつつ、コミカルな場面はギャグ調にデフォルメされたタッチを用いており、そのテンポの切り替わりが独特のリズムを作り出している。
 そして、本作品の冒頭では、龍一が「すずしいから」という理由でテニスウェアで草野球をしている一方で、中盤以降ではすばる達が体操着姿でテニスをする場面が描かれている。普通の漫画ならば、女子にこそ必然性のない場面でも(読者サービスとして)テニスウェアを着せるのが通例であり、このような形で「テニス」という記号を挿入する手法は、やや珍しいと思う。
 恋愛漫画の面白さの肝はキャラの魅力であり、その意味で、ヒロインのすばるは、大人びていながらも純粋で、冷静を装いながらも多感な一面を隠し持つ、実に深みのある魅力的な美少女なのだが、主人公の龍一が、すばるへの独占欲を明示しつつも自分は公然と他の美少女達にも手を出そうとするなど、どうにも身勝手すぎて、私は今ひとつ感情移入出来ない。もっとも、そんな矛盾に満ちた身勝手さもまた、青春の一つの象徴なのかもしれないが。

「生」の多様性

 今回取り上げた「村生ミオ」先生は、みんな大好き漫画ゴラクの『SとM』の作者として有名ですが、私はずっとこの人の名字を「むらき」だと思っていました。それが、今回の単行本のルビで、初めて「むらお」だと分かった次第です。
 私がなぜ「むらき」と読んでしまったのかというと、それはおそらく、世代的に「岡本夏生(なつき)」さんの印象が強いからだと思います。ただ、一方で、『フォーチュンクエスト』のイラストなどで有名な「迎夏生」さんは「むかい・なつみ」さんなんですよね。なので、この「生」という字には、いつも悩まされます。
 ちなみに、「み」のパターンとしては他に、女流歴史小説作家の「塩野七生(ななみ)」さんがいて、私は中学生の頃にこの人の作品も何本か読んだのですが、ずっと「ななお」さんだと勘違いしてました(ついでに言うと、男性の方だと思ってました)。実際、東京都には「七生(ななお)」という地名もあるらしいので、ちょっと紛らわしいんですよね。
 そんな訳で、「生」とは、フリガナがないと「き」なのか「み」なのか「お」なのか分からない、非常に困った漢字なのです。ただ、この人の場合、下の名前が「ミオ」なので、なんとなく、それと被らない「き」が正解なのかと、私の中で無意識のうちに勝手に決めつけてしまっていたようです。
 ちなみに、この人の本名は「村井幹生(むらい・みきお)」だそうです。なんか、それを聞くとますます「み」と「き」と「お」がゴチャゴチャになってきますね。ついでに言うと、この人の師匠の名前も、なぜか私はよく「柳沢みきお」と間違えてしまいがちです(というか、そもそもこの二人を混同すること自体が多いのですが)。まぁ、それだけ「き」「み」「お」は、私の中ではなぜか鬼門、ということなのかもしれません。

村生ミオ『ときめきのジン』

連載:『週刊少年キング』(1980〜1981年)
単行本:少年画報社ヒットコミックス(1980〜1981年) 全9巻


 『ラブアタック5対5』の作者でもある村生ミオが、『週刊少年キング』で描いた初期の代表作であり、初の長期連載作品。現在の作者は『週刊漫画ゴラク』にて『SとM』、『プレイコミック』にて『1夫5妻』を連載中。
 高校一年の陸上部員・泊仁(とまり・ひとし/通称:ジン)と、同じ陸上部の女子部員・森山聖子の二人を中心に、ジンの親友の世古弘、憧れの先輩である清水涼子、級友の不良少女・小林朝美、といった様々な高校生達のそれぞれの恋愛劇を、ジン達の卒業に至るまでの長期わたって描いた作品。
 ジンは典型的な「特に取り柄もないのに、なぜかモテる主人公」であり、彼の周囲には次々と多種多様な美少女が登場し、彼に心惹かれていく。優柔不断な彼は、いつもそんな美少女達と聖子の間で気持ちが揺れ動くことになるのだが、一方で聖子も聖子で、そんな煮え切らないジンの態度に不安を感じ、様々な男子生徒からのアプローチに心を揺らすことになる。
 そんな、作品を彩る美少女達の中の一角として、聖子の従妹で一学年下の倉本めぐみ(通称:メグ)と、高三編でジンと同じクラスになる島田みゆきという、二人のテニス部員キャラが登場する。ただし、二人ともテニスウェア姿が数コマ描かれる程度であり、実質的には設定として殆ど意味を成してはおらず、二人の間の部活内の相互関係なども特に描かれてはいない。
 現在の作者の作風へと繋がる「セクシー漫画家」としての才能は本作品でも存分に発揮されており、聖子達の様々なお色気シーンなどがふんだんに取り入れられているが、作品全体を通じて印象的なのはむしろ、思春期の「性」への葛藤に悩み苦しむ等身大の少年少女達の姿である。ジンも聖子も、それぞれに嫉妬心や独占欲を相手に向けつつ、そこから生まれた様々な不安感が、他の異性への心移りへと繋がってしまう、そんな生々しくも初々しい恋愛模様を鮮やかに描ききった、80年代恋愛漫画の良作だと私は思う。